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デアゴスティーニとぼく①

 皆さんこんにちは。今日は今現在「週刊デロリアンをつくる」を定期購読させていただいているデアゴスティーニさんと私のフワフワした関係をヌルッとした過去のエピソードとともに話していきたいと思います。

 私は富山出身埼玉育ちの大学生で、4つ上の兄が1人、両親は共働きという家庭で育ちました。現在もバリバリ働いている両親ですが、父が大のガンダムファンで、ことあるごとにファーストや逆シャアF91などの劇場版のDVDを見させられました。その影響か小学校低学年の頃から兄と私どちらもガンダムが好きで、小さい頃からガンプラをよく作っていました。私はガンプラ以外のプラモデルの制作経験は皆無に等しいですが、兄はミリオタでもあり、戦車や戦闘機などのプラモデルもよく作っていました。今では兄は社会人となり別々に暮らしているのですが、たまに実家に帰ってきてはガンプラを積んで帰っていきます。作れよと思います。

 さて、ここでタイトルにもなっているデアゴスティーニの話題になるのですが、2005年、私がまだ6歳のとき、10歳になる兄がデアゴスティーニから発売された「戦艦大和をつくる」を製作し始めました。f:id:hajioz:20180919150643j:image全90号で、少し前に改訂版が発売された、当時人気のあったキットです。ミリオタでもある兄は、父の資金援助のもと毎週コツコツと戦艦大和を作り上げていきました。パーツはほとんどが未塗装で、新聞紙を敷いてスプレーでせっせと色をつける兄を私は側からボーっと眺めていました。毎週近所のサティの本屋に寄り最新号を買い、帰宅するとすぐに開封し組み立てる兄の姿は今でも鮮明に覚えています。本当に楽しそうに作っていたのです。

 そんな戦艦大和シリーズも半分が過ぎようとしていたある日のこと、私と兄は喧嘩をしました。理由は覚えていません。私も兄も手を出すタイプではないので殴り合いになったことは今まで一度もありませんが、まだ6歳の僕はこのときついカッとなってしまい、近くにあるものを手に取り殴りかかるフリをしたのです。もちろん本気で殴ろうなんて思っていませんでした。そのとき、たまたま近くにあったのが、制作途中の戦艦大和だったのです。何層にも木材が重なり合い土台がほぼ完成していた大和(結構な大きさでした)の端っこを両手で掴み思い切り振り上げると

ポキッ

という音がして、未完成の戦艦大和は真っ二つになったのです。「あ、やってしまったな」弱冠6歳にしてやらかしたと察する私と同時に、兄は大号泣。修理も試みましたが、兄が制作意欲を失ってしまい、戦艦大和は未完成のまま処分されました。2つに折れた戦艦大和だった何かをゴミ袋に入れる兄はどこか悟りを開いたような表情を浮かべていました。「あの子はまだ小さいから」という理不尽な理由で許さざるを得なかった兄にこの場で謝罪したいと思います。あの時は本当にごめん。触れちゃいけないタブーみたいになってるから直接言えなくてごめん。絶対覚えてるよねあのときのこと。

 今でも思い出すだけで胸がキュッと締め付けられます。現在は仲良しな私たち兄弟です。今は仕事で忙しそうなのでムリだろうけど、いつか戦艦大和をつくるの全巻セットを買ってあげて一緒に作りたいな、そう思っています。